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越の国 ⅱ

越前の歴史を振り返ってみたいと思う。越前は越前ガニや越前和紙など様々な海産物や伝統工芸などで有名だが、現在の越前がどのようにして形成されたのかを越前の過去を振り返ることで考えてみたいと思う。室町時代、室町幕府の官僚だった斯波氏との関わりが深かった味真野で越前守斯波義康の子孫が鞍谷氏と名乗って力を振るった。味真野は世阿弥の能の一曲である「花筐」の舞台になったところで継体大王に関する伝説も数多く残されているという。戦国時代に入ると、この地で絶大な力を振るっていた朝倉氏を滅ぼして、一向一揆を打ち破った織田信長が府中を中心とした三郡合わせて十万石を不破光治、佐々成政、前田利家の三人に支配させたという。この三人は府中三人衆と呼ばれ協議制で領内を治めたそうだ。佐々成政の居城であった小丸城跡には今も一部に当時の石垣が残されているという。また、府中で大名となった前田利家は城を築いて家臣団を形成した。こうして前田百万石の礎はここ、府中の地で築かれたものだったのだという。関ヶ原の戦いが終結し、江戸時代に入ると福井藩が形成され結城秀康がその藩主となった。家臣の本多富正は徳川家康の信頼を受け福井藩の付家老として秀康に従い、三万九千石の府中領主になったという。富正は戦乱のために荒れ果てていた府中の整備や日野川に治水工事、用水、道路工事などに着手をしたという。また、打ち刃物や織物などの産業の発展にも力を尽くして今の府中の基礎を築いた。本多家は明治維新まで9代にわたって府中領主としてこの地の支配を続けることとなった。歴代領主をはじめとして一族は龍泉寺に葬られているという。越前の歴史を振り返ってみて、これらの時代に築かれた文化や遺跡などが今の時代まで残されてまた越前の文化の基礎としても重要な役割を果たしていたということがわかった。この過去があったからこそ今の形の越前が築かれているのだろう。

もうすぐ水仙・カニフェア

越前町では毎年「水仙・カニフェア」が開催されています。その少し前から水仙まつりも開催されています。越前海岸に咲く水仙は日本水仙で、日本で数少ない野生の水仙の群生地でもあり、日本水仙三大群生地の一つに数えられています。(他は千葉県房総半島、兵庫県淡路島です。)日本水仙は福井県の県花でもあります。

「越前水仙」とは越前海岸に咲いている日本水仙の総称で、他の日本水仙に比べますと花が長持ちする、また香りは甘く清楚でみかんの匂いにも少し似ています。香りが豊かなのも特徴の一つです。山の斜面が一面白いじゅうたんのようになり、清楚な香りに包まれます。凛とした姿は、「雪中花」とよばれ、福井県の冬に風物詩になっています。
開花は12月頃から2月くらいの間ですからお正月の生け花としても重宝されています。

もうすぐ水仙・カニフェアが開催されます。フェアでは水仙娘さんによる水仙の手渡しや越前がになどの新鮮な海産物の即売市、グルメを味わえます。越前ガニも一段と美味しい季節!越前にぜひ遊びに来てください。お待ちしています!

越の国

越前ガニや越前和紙で有名な越前地方。その中の越前市は越前の国府が置かれ、中世には府中として呼ばれるなど越前地方の中心地として栄えた歴史のある街である。大和時代には敦賀から新潟あたりまでが「越の国」として呼ばれていたという。この頃にのちの越前に勢力を持っていた男大迹の王は507年に即位して継体大王となった。その頃の越前の武生盆地は経済、文化の中心地であったと考えられている。奈良時代に入ると朝廷による蝦夷征伐が盛んにおこなわれるようになる。この頃になると越前は蝦夷征伐の最前基地として、また北陸の玄関として重要性を増すことになった。武生には越前の国府が置かれ、経済、文化だけでなく、政治の中心地としても栄えることとなった。平安時代には「源氏物語」の作者として有名な紫式部が生涯にただ一度だけ、都を離れて越前の地で生活をしている。紫式部は越前国守となった父の藤原為時について一年半余り武生で暮らしたのちに、藤原宜考と結婚するために都へと戻ったのだという。紫式部にとって「源氏物語」執筆の際に武生での生活は貴重だったようで「源氏物語」にも武生の地名が度々登場しているという。のちの約60年にわたる騒乱が続いた南北朝時代には、この府中も何度か戦場になったという。なかでもとりわけ激しい戦いとなったのが、南朝方の新田義貞の軍と北朝方の越前国守護である斯波高経が戦った日野川の戦いである。この戦いで新田義貞は斯波氏の居城を攻め落として斯波軍は福井県の足羽上に逃れたという。現在の福井市で新田義貞が戦死したことによって南朝と北朝の形成は逆転して再び府中は戦乱に巻き込まれることになった。この時の戦いによって南朝側は追い払われることになり、府中における南北朝の戦いはようやく終わりを迎えることとなる。このように越前は日本の歴史を形成していくうえで経済、文化、政治などの面で様々な影響をもたらしているほかに、それゆえ大きな争いにも巻き込まれてきたということがわかる。しかし、このような過去があったからこそ現在の越前が形成されているのだと考えるととても興味深い。