社会人になってもう一度西表島に行った。島に降り立ったとき、なんとなんとなんと、島に信号があるではないか・・。本当に驚いた。ほとんど車が通らないのに、何故?こんなこといえばとても地元の人に失礼なことだが、道路に水牛が闊歩して時間がゆったりと流れる・・・それが西表島のすばらしいところだと思っている。それにも関わらず信号が・・・。
とてもショックだったことを覚えている。そして学生時代、青春まっただ中の時にお世話になったあの民宿は、もう影も形もなくなっていた。あの親切な民宿の人たちはどこにいってしまったのか。とても寂しい思いで西表島を後にした。いかなければ良かった。わが青春の思い出の中にそっとしまっておけばよかった。現実を直視できない自分がいる。直視したくない自分がいる。西表島はそれほどすばらしい天国だったのかもしれない。もう二度とそのような場所に巡り会うことはないのだろうか。
今、Googleアースで西表島を見てみた。なんとなんと西表島でストリートビューが見られるではないか。えーーーー?って感じだ。信じられないことばかりだ。Googleのすごさを感じる。そしてなんとなくまたまた神聖な西表がどんどんと俗化していくような、とても複雑な気持ちになってしまう。
でも一生にうちにそのような神聖な場所に出会えたことにとても感謝している。そしてそこで出会った人々に「ありがとう」といいたい。